My hate.

人生への諦念

鬱病を発症したら、どうすればいいのか。わからない。

鬱病を、"甘え"だと思う人が日本社会ではほとんどだろう。

"メンヘラ"だと思う人がほとんどだろう。

 

鬱病は甘えなのではなく、誰かに甘えたくなる病気なのだ、と僕は考えている。

 

鬱病の治療は困難だ。

周りの環境から逃れるか、それが許されなければ、堪えるしかない。

堪えたところで、結局当人のメンタルが強くなければ、折れてしまう。

僕は堪えようとしたが、堪えきれなかった。

 

鬱病を治すには休息が一番と言われるが、現代の日本において休んでいいのは親の脛をかじっても親が文句を言わないような家庭の息子娘であろう。

そんな家庭に生まれ育った人間は鬱病などにはならないが。

 

 

休んでる暇などないのだ。

 

受験勉強は休めない、労働も休めない、休めない。

 

毎日が暗い。

たまに明るい日があって、その瞬間だけ楽しさを感じることができる。だがそんな時間はすぐに終わってしまう。また苦しい日常へと戻ることを感じるごとに、大きな不安を感じてしまう。

生きていたくない、生きるのが嫌い、生きるのが怖い、そんな考えが頭を埋め尽くす。

 

鬱病は恐ろしい。

一度罹ると、人生は狂う。

これは自己責任だ。

誰も責められない。

 

何かを責めていいと言われたら、僕は社会を責める。

 

こんな生きにくい社会を作った人間を、責めたい。

 

生きることを諦めなくて済むような社会になってほしい。

そう願うばかりだ。

 

自分自身がもっと強ければ、周りの目を気にしないような、学歴や社会的地位に囚われないような思考を持っている人間だったら、こんな病気には罹っていなかった。

自分以外を責めて逃げることができるような人間は、その行為の正当性はともかくとして、強い。

そんな人間になりたかった。

 

一度負けた自分自身を、僕は責め続けている。

高校に入って以来、自分を責め続けてきて、結果として、治療はうまく進まなかった。

社会復帰を目指した僕が、社会の底辺をまださまよっている。

自分のせいで。

 

この先どうすればいいのか、本当にわからない。

どう生きればいいのか、そんなことで迷うようなら、きっと死んだ方がいいはずなのに、自殺はいつも未遂で終わってしまう。

死ぬ勇気もない、ただ虚無に毎日の時間を消費するだけの劣等生になった僕に、生きる価値などあるはずもない。

 

死にたい。

延々とこの言葉を唱え続けても、何も変わらない。

それでも、"死にたい"としか言えぬ感情が、常につきまとっている。

 

もう、どうしようもないのかもしれない。

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