My hate.

人生への諦念

"生きる理由"とは。

人はなぜ生きるのか。

人生を最初から幸せに送る人はいる。

幼稚園または保育園、小中高、人によってその先は就職か進学をする。

人生が幸せな人のほとんどは、学校生活が楽しかった人であろう。

そこに頭がいい悪い、偏差値が高い低いは関係ない。学歴なんてなくたって本人と周りの環境次第で人生は幸せになるだろう。

では、いじめられっ子や、いわゆる"ぼっち"はどうなのか。

彼ら彼女らは辛さに耐えかねて自殺をしたり、逆に人を殺したりしてしまうことがある。 秋葉原で起こった通り魔事件は今でも記憶に残ってる人が多いだろう。加藤死刑囚はいわゆる"毒親"に育てられ、無理やり親の作った、親だけの理想のレールを歩かされ、派遣労働でも失敗し、大型掲示板でもいじめられ、社会を恨んだ。そして、精神を病み、関係のない人を殺めた殺人鬼となった。 彼の人生の苦痛を想像するとやるせない思いがあるが、殺人が犯罪であることには変わりなく、罰せられるべきである。 加藤死刑囚にとっては、法律という手段によって死ねて楽であろう。

逆にいじめられっ子が自殺した例では、滋賀県大津市の中2男子が、心ない、人の形をしたものに追い詰められ続け、自らを殺めた。 この事件、加害者側は「いじめではなく遊びだった」と証言をしていたそうだ。 "遊び"とは人の命を奪うことを指していい言葉ではない。 「いじめ」という言葉が大安売りされ、「犯罪」という言葉に置き換えられない。そんな社会だ。そんな警察だ。

世の中にはこういった人々の人生もある。 対照には、幼小中高大全て私立だったり、中学受験をして合格し、良質な教育を受けて名門大学に合格し進学する。実家が裕福なおかげで安心して親の脛をかじって生きる。という人生もある。

人間は平等、そんな言葉は虚言であり妄想である。

不幸であると自覚しつつ生きる人はなぜ生きるのか。何度も死にたいと願い何度も自殺未遂をするような人間もいる。僕もその1人だ。病みツイートを頻繁にするくせに死なない。死ぬのが怖い。自殺未遂は2回した。"薬をたくさん飲んで駅に行くこと"と、"自宅の二階から飛び降りること"だ。

「人はなぜ生きるのか」を自分に問うてもわからない。僕は幸せになりたい、でも人生には絶望している。努力すらできない。才能もない。それでもなぜか今日も生きた。

なぜ生きる。

答えは人によって違うし、「わからない」と答える人が多いように感じる。

不安や苦しみの中で、それでも希望を持って堂々と「生きたい」と言える人は強い。

押し潰されている僕はただの弱い、諦めの悪い人間になってしまった。

幸福な人に「生きる理由は何か」と聞いたら、返ってくる答えは「幸せだから」や「夢があるから」、「楽しいから」等、ポジティブな答えが返って来るだろう。 自殺願望を持つ人に生きる理由を聞いても、きっと「わからない」「本当は生きたくないけど死んだらそれはそれで迷惑をかける」「死ぬのが怖い」等、ネガティヴな答えが返って来るだろう。 笑って過ごせる毎日を日本人全員が享受できる社会になったら、親がいなくても援助してくれるような仕組みが整っていて、生きる希望を与えてくれるような社会だったら、学歴で「区別」はされても「差別」はされない世の中だったら、鬱病の原因がしっかりと解明され、治療法がもっともっとよくなったら、 「死にたい」を毎日願わなくてもいいような毎日を送れたら、 僕はきっと「生きる理由」を見つけることができて、元気に生きることができるだろう。 "生きる理由"とはなんだろうか。 "生きる理由"はそもそもあるのか。 もしかしたら、自分もみんなも、死んでもいいんじゃないか。 "生きる理由"を問わなくても生きていける、そんな精神状態に、もしなれるのなら、誰か、救ってくれ。 底辺なのになぜ生きるのか。 いじめられて自殺に追い込まれるかもしれないのに、いじめられて通り魔になってしまうかもしれないのに、その通り魔に殺されてしまうかもしれないのに。 なぜ生きるんだ。 なんのために生まれてきたんだ。 もしかしたら僕は、見下されるために生まれてきたのか。 「見下されること」が僕の"生きる理由"なのか。 今日も問うて、きっと明日も明後日も問うだろう。 こんなわからない無理難題に対して。 筆者 : ‪https://twitter.com/___CROAZ__
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